スーパーで東北の物産を販売する特設会場が、設けられていました。
「そういえば、3月11日だった。」
東日本大震災当時
世の中は、ウクライナ情勢でもちきり。ウクライナの人を思ったら、本当に
「お気の毒に。」
と思います。
温かい食べ物、温かい部屋、普段なら当たり前のことが、当たり前でなくなることは、遠くに住んでいる私も心が苦しくなります。
東日本大震災が起きた当時、埼玉県に住んでいた私は運よく、免れたのですが、11年前に被災した方は、一瞬に当たり前の日常生活を失いました。
あの日は、10歳の子供と一緒に、耳鼻咽喉科の待合室にいた時に地震が起きました。普段より大きい揺れだし、揺れも長く続いたのを覚えています。
待合室では、椅子に座っていた高齢の女性が隣の人にしがみつき、
「私は、心臓が悪いの!」
と叫んでいました。
以前、防災の講習を受けていた私は、
「停電になったら、クリニックの自動ドアが開かなくなってしまう。」
と、触ると開く自動ドアに、しがみつく子供と一緒にずっと触れて自動ドアを開けていました。
東北に深刻な災害が起きたことを知ったのは、自宅に帰って、テレビのニュースを見て知りました。私も子供も、ショックで言葉になりませんでした。
そして、旦那や実家の母と連絡をとりたくても、いっこうに電話が通じません。
子供は、私がトイレに行くのも付いてくるぐらい、不安を抱えていました。
地震がおさまっても、計画停電があったり、停電になっても食べられるようなパンなどの食品がスーパーで品切れになったり、ガソリンが手に入らなくなったり、
不便な日々が続きました。
購入することで応援したい
東日本大震災直後は、私も気を引き締めて、非常食や防災グッズをそろえたりしていました。
数年は非常食の入れ替えもしていましたが、最近ではすっかり忘れていました。
震災から、11年。10歳だった子供も、今では大学生になり、実家の母も老人ホームに入居しました。
私は親類縁者に東北の方がいないので、つい「あの日」の恐ろしい出来事を忘れ、防災に対して気が緩んでしまいます。
東北だけでなく熊本なども、災害で大変な目にあいました。
私は、台湾パイナップルが売れなくなって困っている時、なるべく台湾産パイナップルを購入するようにしていました。
私のような平凡な主婦は、災害が起きた時、大した金額の寄付ができませんが、災害が起きた地域の復興のために、その地域の物産をなるべく購入することはできます。
普段、買い物をするとき、
「どこの産地を選べば、支援になるか。」
意識していきたいです。
コメント