今年のお盆が終わりました。

片付け

今年もお盆が終わりました。

私の実家は、浄土真宗だったのであまりお盆だからと言って特に何もしませんでした。

私の母の実家は、真言宗だったので、色々、やることが多かったそうで、お嫁に来たときは、びっくりしたそうです。

 私も旦那と結婚して、同じ仏教でもまた宗派が変わったのですが、旦那が

「お盆だから。」

「お彼岸の時は。」

とか、季節の行事に、何をすればいいか知りません。

義母も私が結婚して、すぐに脳梗塞で倒れてしまったため、私は特に何も教わっていないのです。そのため、仏壇にお供え物を置くぐらいしか、今までしてきませんでした。

 

私が知らないので、息子も何も知りません。

「継承は途絶えていくのかな。」

今年のお盆は、そんなことを考えることになりました。

お墓や墓地についての概念が変わる。

 私が40代の時、知り合い人から、

「お墓についての講習会をするから、参加して。」

と頼まれ、参加してから、私のお墓に対しての考え方は変わりました。

明治時代に家制度が始まりました。そして現代にいたるまで、家という概念が確立されています。

江戸時代に確立された檀家制度が、家制度と組み合わさって、一族に墓地とお墓が誕生したといわれています。

 

「じゃ、人類の歴史からしたら、墓地とかお墓とか、最近の話じゃない。」

なんて思ったら、『さーっ!』と今まで、親や高齢者から教えられた先祖に関しての、考え方が変わってしまったのです。

 

その上、わたしが20代のバブル景気の時、祖父や祖母が亡くなり、戒名に何百万も請求されたと、伯父が愚痴をこぼしていた様子も覚えています。

こんな感じで、私の墓地やお墓に対しての考え方は、人よりは一歩間を置いた感じです。

(罰当たりと、感じる人もいるでしょう。)

少しずつ自分の終わり方をイメージし始めようと思います。

知り合いから頼まれて参加した講習会で、エンディングノートをもらったので、まだ元気だった母に渡して、

「兄弟姉妹が喧嘩しないように、ちゃんと自分の意志を書いておいて。」

と言って、書いてもらってあります。

 今になって考えると、書いてもらっておいて本当に良かったと思っています。(現在の母では、とても無理。)

この写真を使ってほしいとか、亡くなったときは、誰に連絡してほしいとか、祭壇はどのようなものがいいかなどの本人の要望を記録してもらうことは、『いざ』というとき、助かります。

今のところ、私のエンディングの理想は、樹木葬です。自然に同化したいです。

 (一人っ子だから、子供にもお墓参りとか負担をかけたくないし。)

最近、年齢のせいか、特に無理に我慢するのが嫌になってきました。

「最期は自分らしく。」人に迷惑をかけない程度に、貫きたいです。

エンディングノートを書くのは、年齢に決まりがないそうです。私もそろそろ買い始める時期かもしれません。

最期にエンディングノートをもらった時に、教えてもらったことですが、書いてもいつでも書き換えられるように、鉛筆で書くといいそうです。


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