私の旦那は糖尿病。
30代から40代前半ぐらいまでは、旦那の食べすぎに注意をしてきました。
食べ物については、
「たくさん食べて!」
の反対は、家族でも言いにくいものです。
その都度、口うるさく言う私もいやです。
ある時、気づいたのです。
「本人に節制する自覚がない。」
と。
成人した大人に、しかも食事の量に気をつける気がないのに、ブチブチいうのに疲れてしまいました。
糖尿病が原因で入院した時も息子に、
「言った方がいいよ。」
と言われたのですが、さんざん言ってきたのです。
旦那は、おとなしい人なので、私が
「多いよ。」
というと、その場ではやめるのですが、次の日、ごみ箱を見るとお菓子の空き箱が、あるという始末なのです。
煙草も、お酒もたしなまない旦那ですが、食事の量だけはなんともならないのです。
私は息子が、言ってもきかないときは、あえて失敗させる主義です。
旦那も、何度か糖尿病が原因で入院をしているのですが、本人に自覚がわかないので困っています。
「これが、息子や親、兄弟なら違う対応していたかな?」
と、主人に口うるさく言わなくなってから、考えるようになりました。
わたしが出した答えは、
「成人していなければ、食習慣にもっと介入していた。」
です。
結婚したての時から、平日、帰ってくるのは午前様で、旦那に食事を作るのは朝食だけ。
土日も仕事で、家を空けることが多く、よそのお宅に比べると私は、圧倒的に旦那に食事を作っていません。
普段の旦那の食生活は、本人に任せるしかありませんでした。
そんな、旦那が今日、糖尿病の薬を出してもらっている、かかりつけ医のところへ行きました。何かきついことでも言われたのでしょう。しょんぼりして、帰ってきました。
結局、人間というものは、第三者にズバッと言われるのが一番効くようです。
でも、旦那にこの効果は短期間なのは、わかっています。
「もっと、頻繁に病院へ行かないかしら。」
と思っています。
食事量をコントロールできる喜び
私が、旦那の食事のとり方に対して、こんな風に考えてしまうのは、やはり摂食障害を経験したからです。
自己嫌悪を抱きながら多量に食べたり、母の心配そうな顔を横目に、多量に食べたりしてきました。
「これ以上、やめなさい。」
と言われるのが嫌で、隠れて食べる等の行為もありました。
自分の目の前に食べ物やお菓子があると、食べつくしてしまうのではないかと心配で、
管理される入院を希望したりしました。
その時、医師に、
「君は将来的に、自分の目の前の食事を多いと思ったら、残すことができるようにならなければいけない。」
と、ピシリと言われたことを、今ではありがたく思っています。
旦那にしても、私の前ではそんなに食べなくても、私が知らないところでたくさん食べているのでしょう。ですから、食事の量をコントロールするうえで、自覚が芽生えていないと無理だと思うのです。
では、自分の体験談を話せばと、思う方もいらっしゃると思います。
でも実際に一日中、食べ物のことが頭から離れず、食べることへの恐怖を味わった人間でないと、『食事をコントロールできる喜び。』という視点を持つことはなかなか難しいと思います。
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