緊急事態宣言が出て思うこと。

出来事

4回目の緊急事態宣言が出ました。

世の中が、暗い空気に包まれます。また、自粛です。

私は、普段は

「まあまあ」

という感じで、めったなことは水に流す方なのですが、3~4年に1度、派手にブチギレることがあります。

緊急事態宣言がもたらした出来事をお話ししたいと思います。

大家とのバトル。

下宿選び。

一昨年から、息子は地方大学に入学が決まり、一人暮らしを始めることになりました。

息子は、大学に入学したら野球部に入りたいと熱望していました。

都内の学校で硬式野球をするということは、まず土日は、鉄道沿線の終点に近い駅から徒歩30分ぐらいかかるような場所で、練習をしなくてはなりません。そのため、子供は勉強との両立をあきらめて、中学までやっていた野球を高校は断念したのです。

 なので、合格が決まって下宿探しをするときも、

「野球の練習が終わった後に、夕食づくりとか大変だろうな。」

と思い、朝夕食事つきのところを探しました。

入学の時、大学からもらった下宿の冊子を見て、下見に行きました。

「お部屋、空いてますか?」

「どこの学部ですか?」

「医学部です。」

「ま~!おめでとうございます!どうぞ、ご覧ください。」

最初はこんな感じでした。

説明の時も、

「となりに同じ学部の人がくるんですよ。」

なんて言われたから

「部屋はあまり広くないけど、食事がついているし、なにより知らない土地で初めての一人暮らしなんだから、同じ学部の子がおとなりなら心強いわね。」

と決めてしまいました。

いざ、引っ越してみると、お隣のお子さんは違う学部。

「隣の人が、どうしても入りたいって。お願いしますって言われちゃったから、つい決めちゃったの。」

と、大家の奥さんはあっさり。

自分の孫を医者にしたいのか、私に合う度、

「うちの孫は医者になるって言っているんですよ!」

と何度も聞かされる始末。

徐々に私たち親子も、

「う~ん。」

という感じになってきました。

でも、

「契約もしてしまったし、しょうがないか。」

契約切れたらほかに行こうと、その時は思っていました。

関係の悪化。

子供が一人暮らしを始めてから1か月後、腸炎を起こし高熱を出しました。まだ、第一回目の緊急事態宣言の時です。コロナウイルスの正体もはっきりしない時期だったので、子供がいる地域の病院ではどこも診察してくれず、保健所に電話して、やっと救急病院で受け入れてもらえました。

検査の結果、救急病院の先生から電話で、

「腸炎ですよ。」

と言われた時の安堵感は、今でも忘れられません。

そんなことがあったので、子供も

「授業は、オンラインで受けられるから、うちに帰りたい。」

というので、病院の医師に

「心身疲れたようなので、自家用車で私が迎えに行くので実家に戻したいと思うのですが。」

といってひとまず、家でのんびりさせようと思いました。

食事付きの下宿だったので、大家には事情を話し、しばらく都内の我が家で子供の心身の回復を図りました。

 子供は、東京でオンライン授業を受けながら、体調を戻し、結局、9月まで下宿に戻らなかったのですが、その間に2度、大家から電話がありました。

「いつ戻ってくるのかと思って。」

「下宿に残っている子は、バイトがクビになっちゃうから、夏休みも帰らないんですって。」

「東京は、コロナが流行して大変なんでしょ?」

「私は、いやだって言ったのに、主人がどうしても電話しろっていうから。」

家賃も食費もちゃんと、いなくても払っていたので、我が家が東京在住であることが問題なのでしょう。

地方の人の東京差別が問題になっていた時期でもあります。

気づかないふりして、私も

「帰るときには、連絡しますから。では、失礼します。」

と電話をきろうとしたとき

「ご主人はお元気?」

地方の方が、医療体制が弱いため、不安になる気持ちはわかりますが、こちらもここまでされると精神的に参ります。しかも契約期間中は、子供を人質に取られているも同然なのです。

とうとうブチギレる。

大学の後期授業が始まる前に、また自家用車で子供を下宿に送り届けました。大家にも一応、連絡して。

私も、早々に送り届けたら帰ろうとしていたのですが、子供が

「うちでコロナ患者がでたら商売あがったりだから、そうなったら賠償金を払ってもらうよ。」

と、大家の男主人にいわれたと、部屋に戻ってきました。

それを聞いた時、座ってた自分が自分の意志とは関係なくすくっと、立ち上がったのを覚えています。

私は大家がいる食堂に行き、

「うちの子に言ったことは、どうゆうことですか!失礼です!」

「冗談で済む話だとおもっているんですか!」

わなわな震えながら、抗議しました。

最初のうちは、自分の正当性を訴えていた大家の男主人も、次第に謝罪してきたのですが、怒りでどうにかなりそうだった私は、口をきく事させできませんでした。

結局、契約で3月まではいなくてはならなかったのですが、早々に次のところに引っ越しました。

今の気持ち

今になって思えば、大家の人間性が大学周辺の地域の人間性と誤解もしていました。子供のバイト先の人も、新しい大家さんもいい人です。

コロナが流行しなければ、こんなトラブルも起きなかったでしょう。


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